日本に生きるイスラーム ―過去・現在・未来―
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96初期の日本人イスラーム教徒黒船が来航(1853年)して開国となり、日本は明治維新(1868年)を迎えたが、時代は大英帝国を筆頭とする欧米の列強が覇権を競い合い、イスラーム圏の多くが植民地化され、盟主オスマン大帝国も落日の一途を辿っていた。当時の世界を結ぶ交通手段はもっぱら船舶に依存し、中東ではアジアとヨーロッパを直結するスエズ運河が1869年に開通している。日本とイスラームの新たな幕開けで起きたのは、1889年にオスマン帝国が派遣した訪日使節団の艦船エルトゥールル号が、帰路に和歌山沖で台風に遭い沈没した海難事故である。救助された生存者69名は、翌年に日本軍艦でイスタンブールへ無事送還されたが、その義ぎ捐えん金きんの届け役を自ら務めたのが、山田寅次郎(群馬・1866〜1946年)と当時の時事新報、記者の野田乙太郎(1868年〜不詳)の2人である。この際、野田はイギリス人ムスリムに導かれ、1891年イスタンブールのバンガルティ兵学校でイスラームへ入信し、アブドゥルハリームの名前を貰い、同兵学校でイスラーム神学などを学ぶと共に、日本語を教えたという。この野田が日本人最初のムスリムとして現地の記録にも残されている。次いで、山田はその後トルコに長期滞在して実業家となり、両国の架け橋として活躍をした。山田はトルコ皇帝アブドゥルハミト二世の勧めで1902年頃にイスラームに入信して、アブドゥルハリールを命名されている。こうしてトルコにおいて初めて日本人ムスリムが誕生したが、20世紀初頭、インドのボンベイでも南洋貿易に従事していた有賀文八郎(福島・1868〜1946年)が、ハイダリーという実業家の勧めで入信し、アフマッドの教名を受けている。有賀は、還暦を迎えた引退後にもイス

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