日本に生きるイスラーム ―過去・現在・未来―
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98一のイスラーム式葬儀をイブラーヒーム導師が執り行っている。その他、昭和以前の主な動きとしては、1909年にロシアから前述のアブドゥルレシト・イブラーヒーム師の最初の訪日があり、その後日本に亡命したこと。同じくロシア赤軍から逃れたクルバンアリーやアヤス・イスハキーらが1920〜25年にかけて日本に亡命し、イスラーム運動を活発化させたことが挙げられる。これは日本軍部のアジア大陸政策遂行に呼応した動きでもあり、その頃から日本はイスラーム圏を知る必要に迫られていた。イスラーム研究では、満州鉄道調査部に属して、その後『回教概論』や邦訳の『古蘭』を著した大川周明(山形・1886〜1957年)、聖心女子大学名誉教授をつとめた内藤智秀(山形・1886〜1984年)、新聞記者で中国情勢に詳しく『回教の動き』などの著作をもつ佐久間貞次郎(東京浜町・1886〜1979年)、イスラーム関係資料の保存に尽力した大村健太郎などが研けん鑽さんを続けていた。昭和に入ると当時の国策を背景に、現地でイスラームの実践的活動を推進する新しい動きが加速する。中国大陸では、山岡と師弟関係を結んだ三田了一・オマル(山口・1892〜1983年)が満鉄(南満州鉄道)に入社して現地ムスリムとの親交を深め、中国回教総連合会の主席顧問を歴任した。三田は戦後にマッカ巡礼を行った最初の人であり、『日亜対訳・注解 聖クルアーン』を完成している。須田政継(山梨・1893〜1963年)は山岡の後輩にあたり、ロシア語科を卒業して通訳官になり従軍した。中央アジアでムスリムに接し、ロシア・イスラームの専門家として満鉄調査部で三田と机を並べた。日本に亡命したロシア人グループを支援すると共に蒙古の地では自宅を開放して食客を歓待した。須田の指導により、戦後の若手日本人ムスリムを多く育てた斉藤積平・アブドゥルカリーム(静岡・1908〜98年)がイスラームに入信したと聞いている。松林亮(仙台・1891〜1980年)は、

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