日本に生きるイスラーム ―過去・現在・未来―
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110で生活を維持しながら、一般市民として戦後の混乱の中で、イスラームという精神的絆に結ばれて平和的に生きなければならない、という会員一人ひとりの決意であったと思われる。イスラームの布教活動が初めて日本人ムスリム団体の手によって展開することになったのである。今日にまで継承されている日本人ムスリムの源泉は此こ処こにあると言えるであろう。三.海外から布教者の来日この頃になると海外からの布教者グループの来日が始まった。1956年から1960年にわたり4回来日したインドとパキスタンのタブリーグ・ジャマートの布教活動は注目に値するものがある。なぜならこの活動によって、後の日本イスラーム界の指導者となった斉藤積平(アブドゥルカリーム)や、木場公男(ハーリド)が入信し、また三田了一(オマル)と技術者でありながらクルアーンのハーフィズ(暗記者)で、第3回目に来日したアブドッラシード・エルシャド師(パキスタン)との出会いは、後の三田による『日亜対訳・注解 聖クルアーン』の翻訳に繋がったからである。このように1960年代の日本におけるイスラームの活動は、「日本ムスリム協会」を主体として、戦前戦中に入信し中国大陸や東南アジア諸国で、ムスリムとして生活体験のあるムスリムと、在日トルコ人やパキスタン人の布教活動で入信したムスリムの両者によって構成されていた。その主な日本人ムスリムの顔触れは、今泉、三田、斉藤、森本武夫(アブーバクル)、渡辺正治(アブドゥルモニール)、五百旗頭陽二郎(ムハンマド・オマル)、林昂(オマル)、小村不二男(ムスタファ)、木場の名が挙げ

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