日本に生きるイスラーム ―過去・現在・未来―
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145統計から見た日本のイスラームに生活していれば、出身を同じくする仲間たちと語らう場も欲しくなるものだ。ひとつしかないアラブ イスラーム学院礼拝所に通うには遠すぎるため、賃貸の礼拝所ムサッラー五 を設けて集まるという動きが現われはじめた。バブル崩壊後の1991年タブリーグ・ジャマーアートは、仲間たちから募金を集め東武伊勢崎線一ノ割駅近くに彼らの拠点となるマスジド五 物件を購入した。これは賃貸の礼拝所ムサッラー時代から、自前の礼拝所マスジドの時代が到来した瞬間と言えるほど衝撃的な出来事であり、全国のムスリムに影響を与えたに違いない。その後1992年Islamic Circle of Japan、1994年Japan Islamic Trustと相次いで団体も設立され、マスジド物件購入活動に拍車がかかることになった。表5のように、1935年神戸マスジド、1938年東京ジャーミィ開堂以来約60年間ほとんどマスジドは増えなかったものが、1995年からわずか15年間で50個を超えるほど急増したことになる。バブル景気当時流入してきた南アジア出身のパキスタン人、バングラデシュ人、インド人、スリランカ人などの中には生活の基盤が安定しはじめ、中古車貿易で財をなすものも出てきた。1990年のバブル崩壊で、職を失い日本を後にせざるをえない者も出た一方、不動産の価格が下落しはじめ、マスジド購入が現実味を帯びてきたのである。マスジド購入は、イスラーム法に触れないように、ローンを組まず現金で購入するため、遠大な計画と長期にわたる募金活動が必要であった。マスジド周辺在住のムスリムたちが中心になり、さまざまなネットワークを駆使し募金活動を行い、時には全国へと展開する例も少なくなかった。一ノ割マスジド

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