日本に生きるイスラーム ―過去・現在・未来―
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159イスラームと日本の仏教 ―無関係からの出発―べての成り行きを決めて実施され、監視されているのである。人間にとって最終的な裁きとなる、最後の日の審判も、その重要な一幕である。」一これを以下においてもう少し敷ふ衍えんしてみよう。イスラームにおける信仰とは真実であると信じ、自らの言動を信心に即したものとすること、ともされる。それでは、何を真実であると信じるのであろうか。教義上の信仰箇条としては、イスラーム神学で以下の六ヶ条にまとめられるのが常じょう套とうである。第一、アッラー(唯一にして永遠なる存在)第二、見えない世界の存在(天使)第三、諸啓典(クルアーンはその最後のもの)第四、諸預言者(アーダムから始まり、ムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)は最後の預言者)第五、来世のあること(復活と最後の審判が行われる)第六、定命のあること(アッラーの深慮と計画)以上が六信と呼ばれる信仰箇条であるが、その第二から第六まではすべてアッラーの創造と差配によるという意味では、すべてがアッラーに依拠しているとも言いうる。こうして絶対的な主であるアッラーの存在が確立される。それは初めもなければ終わりもない存在である。次に、仏教の信仰の真髄については、次のようにまとめられよう。この世はすべて有限で相対的である(諸行無常)。それはすべて原因と条件によってこの世に現れるのである(諸法無我)。しかし煩ぼん悩のうの消え去った静かな境地を得ることは可能である(涅ね槃はん寂じゃく静じょう)。こうして教えの基調は縁えん起ぎであり、それを悟ることにより人は安寧を得ることができる。

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