日本に生きるイスラーム ―過去・現在・未来―
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160前述の三印と呼ばれる整理法以外によく見られるのは、四諦説(恒常であろうとする苦しみの真理―苦諦、仮の姿が集まる苦しみの原因―集諦、苦しみを滅ぼす真理―滅諦、欲望を滅ぼすための真理―道諦)である。二多少言い換えて具体的な形では、次のようにも理解できる。一時の繁栄や隆盛が衰えるのを見るとき、悲しみを覚えない人はいない。しかしそれが悲しみとなるのは、その人が理をわきまえず我に固こ執しつしているからである。この我が執しゅうこそが苦の根本であり、それを克服するのには、縁起の法を体認することにある。悟りを開けば煩悩を乗り越えた静かな境地が心に満ち、他者への慈悲に溢れることとなる。以上を受けてイスラームと仏教を比べてみると、教義上の違いは改めて強調するまでもない。それはアッラーであり縁起の法であり、教義の説明の文字上からも別物なのである。しかしここで改めて見直す必要のあるのは、むしろそれら両者の間の概念的な構造が酷似していることであろう。さらに次のようにも表現できる。仏教の教えの出発点としては、縁起を言い換えて無が強調される。それは有無の無ではなくて、そもそも初めから存在しないという意味で「絶対無」であると呼ぶべきだと、前世紀の日本の哲学者が提唱して以来、その用語はすっかり定着した。それに比べればイスラームでは、アッラーについてあらゆる意味で有を主張しており、言い換えれば「絶対有」とも言うべき存在である。イギリスの宗教学者が唱え始めた学説に、宗教多元主義というものがあり、それは日本でもそして世界的にも相当注目を集めてきた。三 それは絶対者を何と呼ぼうが、その存在を中心として構築された教えや宇宙観の構造は、ほぼ大同小異であるというのだ。個々の宗教教義の違いは本質的ではなく、「水

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