日本に生きるイスラーム ―過去・現在・未来―
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161イスラームと日本の仏教 ―無関係からの出発―の色はその容器の色である」とするのである。この多元説は自らが特定の教えを説くものではないので、結局珍しさを除いては影を潜めつつあるようだ。しかしわれわれが右に見た、イスラームと仏教の基本的構造上の酷似性の指摘は、結果的にはこの宗教多元主義と平ひょう仄そくを一にしている。二.信心のあり方次の論点として、宗教信仰がもたらす信者の心のあり方について述べる。この側面については、イスラームと仏教ではさらに近いものを見出すのである。仏教に関しては、それは我執を離れた涅ね槃はんの心としてすでに前節で見たとおりである。それは解げ脱だつという言葉でも、日本では広く知られている。もう少し平易に言えば、達観するとも言われる。このような日本人の信心に関する鋭い観察としては、もう古典となった鈴木大拙の多数の著書につとに詳しく記述されてきた。四鈴木によると、日本人の信心の基本はその清純な心にあるという。それは仏教伝来の国である中国が得てして理に走る心とも違うもので、遥かに自然体で素直で従順であるという。このような日本的な宗教性―彼の言葉では日本的霊性―こそは、浄土系思想と禅宗という日本仏教の二大流派を貫いている精神であると説明される。一見、普通は情の浄土教と理の禅宗という二つに分けて見がちであるが、実際は同根であると指摘するのである。そしてそれは、平安という物のあわれを強調した感性的情緒的な時代を経て、大地の上に親しく起き臥がして念仏のまことそのものに深化した鎌倉時代に発現したのであった。

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