日本に生きるイスラーム ―過去・現在・未来―
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165イスラームと日本の仏教 ―無関係からの出発―締めくくっている。「(アッラーに)ご加護を乞い願う、・・・こっそり忍び込み、囁くものの悪から。それが人間の胸に囁きかける、ジンであろうと、人間であろうと。」(人々章)このように人の心に悪を囁くシャイターンは、自分の心にも他人の心にも潜んでいるので、それと戦い同時にそれがもたらす悪からは、アッラーのご加護を祈願するのである。あくまでも人への警戒心は揺るがせにできないのである。 他方、仏教でも人はもちろん良い面と一〇八の煩悩という悪い面を併せ持つが、信者たる者、あくまでも自らは仏の心を持つことにより、接する人の仏心を引き出し育ませるように求められる。それは悪あく行ぎょうを黙認するのではないが、できるだけ甘受し、また無抵抗の鞭むちで導くという姿勢が尊としとされていると言えようか。両者いずれが真実であるのかどうかは、即断も独断も不可能かもしれない。読む人の様々な人生経験がその指標となるであろう。四.救済の考え方すでに幾度か触れたように、人は懸命にアッラーを畏怖し、敬虔な生活で善ぜん行こうに励むしか、イスラームでは選択肢はないのである。どのような小さなものでも必ず記録され、信賞必罰間違いなしとされる。そして最後の審判では、ある者は救われる、そうでない者、特に不信者はそれまでである。それは最初から教えに示されているところに過ぎず、何の唐突さもない。仏教の救済理論も、基本的には全く同一であると言えよう。ただ比重の置き方で異なるのは、当初救

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