日本に生きるイスラーム ―過去・現在・未来―
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166われなかった場合である。浄土系の「悪あく人にん正しょう機き説」によって、どれほど多くの人たちが信仰上も生活上も救われてきたか、歴史に明らかである。それによるとあの世で地獄へ行ってからでも罪を償えば、その時から極楽行きが約束されるのであった。それどころか、その説の主眼点は、念仏にすがる悪人こそその悔い改めにより正しく救われるというのであって、悪人こそが救済の前面に押し出されているのである。イスラームには、こういった観念が前面に出される余地は、幸か不幸か、全くない。どんな悪人でも、どんな愚鈍の身でも、努力はできる限りすべきであり、アッラーが求めるのはそこまでである。能力以上のことをアッラーが求めることはありえないからだ。何か日本的には冷たいような、突き放したような印象が残るかも知れない。しかし、これはアッラーの命令であり誰も争える話ではないし、日々善行に精出すこと以上に雑念を逞たくましくすることは戒めたくなるのが、ムスリムの気持ちである。五.在家主義イスラームには僧侶や聖職者階級は制度として存在しない。礼拝所の指導者であるイマームも、よりアッラーに近い存在であるという意味は全くない。最後の審判において信者をアッラーに執とりなしてくれるという預言者ムハンマドも、人の子であることは変わりないのである。教義上、アッラーと信者の間にいかなる中間的な存在も認めないのは、イスラームの根本に直結する事柄である。

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