日本に生きるイスラーム ―過去・現在・未来―
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168イスラームでは毎日の礼拝はもちろん、すべての勤ごん行ぎょうや宗教儀礼において信者は何をするつもりなのかに関して、意思を確認する。巡礼の際にはマッカを取り巻く聖域に入る地点で宣言するが、巡礼にも種類があるので、どの巡礼をするのかも告げなければならない。また寄付をするにも、喜捨をするとの意思表明が伴っていなければ、善行を積んだことにはならない。礼拝で言えば、早暁、正午、午後、日没、夜間という一日五回のどの礼拝をこれからするのかを、告げなければならないのである。この様なイスラームの儀礼を実施する意思のことをアラビア語ではニーヤと呼んでいるが、ニーヤの表明が求められるのである。筆者の知る限り仏教ではこの様な意思表明は、ほとんど求められないのではないだろうか。むしろ無意識な中での称しょう名みょう念仏などは、妙好人の特徴であり、その信者がいかに篤心であるかの証左のように扱われるようである。勤行を務めなければという意識が働いている間は、まだまだ本物ではないといわれるかも知れない。七.無関係からの出発以上イスラームと日本の仏教は、長い歴史の差違にもかかわらず、幾つもの主要な類似点のあることを見てきた。つまり、無関係の関係は人間の本性という原点で繋がっており、その重みは馬鹿にできないということである。そこで最後に一考しておきたいことは、この類似性が持つ意味である。

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