日本に生きるイスラーム ―過去・現在・未来―
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19イスラームとは従って存在するすべてのものも「帰依するもの」とされる。聖典であるクルアーンには、次のように帰依が説かれている。 諸天と地にあるすべてのものは、好むと好まざるとにかかわらず、かれ(アッラー)に帰依し、かれへと還りゆく。(イムラーン家章82節) 言え、「・・・私たちは、かれ(アッラー)に帰依する者です」(同83節)クルアーンには「アブド(しもべ)」という語も、人間を表す言葉として何度も出てくる。世界と人間を創造した神が「諸世界の主」で、人間はその「しもべ」であるという。私たちもよく知っているように、近代人というものは、自由で自立していることを尊ぶ。その観点から言えば、「帰依」といい「しもべ」といい、人間を神に隷属させる考え方で、自由な精神に反しているように見える。しかし、イスラームでは、人間は力の限られた卑小な存在であり、自由と言ってもたいした自由を有していないという。空を飛べるわけでもなく、走ってもさほど速くなく、命の長さにも限りがある。食べなければすぐに飢え、病を得ればたちまち弱まってしまう。むしろ、この客観的な限界性を理解することが、人間精神を自由にする、という。神に隷属する者は、他の人間に従属することから自由になる、という。このあたりの人間観を理解しないと、「イスラーム=帰依」こそが普遍的な教えである、という主張も理解できない。クルアーンは、「まことにアッラーの御許の教えは、イスラームである」(イムラーン

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