日本に生きるイスラーム ―過去・現在・未来―
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28統治や政治、法の整備も行い、師として弟子たちの間を仲裁するのみならず、必要に応じて厳格な司法の裁きを行った。対外的には、外交を指揮し、戦いにおいては戦略を立て、時には自ら剣を持って戦った。要するに、宗教と世俗のすべての領域で活動したのである。そうであれば、その「模範」がすべての領域にわたることも不思議ではない。現代においては、しばしば「イスラームはなぜ宗教と政治を分離しないのか」と問われるが、ムスリム社会がムハンマドの事績にならうものであれば、ここまでが宗教、ここからは俗世で、イスラームの教えとは関わりない、というような形にならないのは当然と言える。イスラーム世界の広がりムハンマドの没後、イスラーム軍は当時の近隣の二大強国であったササン朝ペルシアとビザンツ帝国と戦うことになり、アラビア半島を出て、東西にその版図を広げることになった。ササン朝ペルシアはイスラーム軍によって潰ついえ、ビザンツ領も過半がイスラームの版図に入った。わずか1世紀ほどの間に、東は中央アジア、西はヨーロッパのイベリア半島(今日のスペイン)までを征服し、広大なイスラーム王朝が成立した。この大征服のゆえに、西洋では「イスラームは武力で広がった」という誤解が生じたが、実際にはイスラーム王朝は改宗を強制することはなく、主として支配地での徴税を重んじた。どの地域でも、住民の改宗は宗教的・文化的現象として進行し、住民のイスラーム化はゆるやかに、たいていは3世紀ほどかかった。

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