日本に生きるイスラーム ―過去・現在・未来―
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45世界に広がるイスラーム建築 ―普遍性と多様性―最初の波は、7世紀後半からはじまるアラブ様式の伝播である。先述したマディーナの預言者のモスクを原型とした多柱式モスクが、1000年頃までに西はコルドバから東はサマルカンドにまで達する[写真5]。預言者のモスクでは棗椰子の幹を使っていたが、柱は古代建築の石円柱を転用する、あるいは煉瓦積みの太い柱を用いるなど、土地によってさまざまで、次第に壮麗化する。柱を林立させた空間は、柱が無数に反復しているために同質性が高く、内部にいると自分がどこにいるのか捉とらえ難くなる空間である。ミナレットはキリスト教会堂の鐘しょう楼ろうの形を継承し、角塔となることが多い。2番目の波は、11世紀末から12世紀に成立したペルシャ様式の伝播である。大ドームやイーワーン(前面を大アーチで開口する大広間)などが多柱式モスクに組み込まれ、空間が分節され、よりダイナミックな建築となる[写真6]。ミナレットは円塔となり、二基一対に配置される。大ドームは天を具現化するかのような象徴的な空間で、対称的な塔は建築をより壮麗化する。この一連の様式は、12世紀後半から14世紀末までに、西はエジプト、東はインドにまで到達する。建築様式そのものではないが、当時イスラーム全域で流行し、そのルーツがペルシャにあったマドラサ(学院)建築やタイル技法、ムカルナス(鍾乳石飾り)なども含めれば、西はマグリブ(北アフリカ)、南はスワヒリ(東アフリカ)、東は中国沿岸部と、当時のイスラーム世界全域を巻き込む文化交流であった。3番目の波は、16世紀初頭からのオスマン様式の伝播である。オスマン朝は、1453年にビザンツ帝国からコンスタンティノープルを奪取すると同時に、既存のモスクの様式から抜け出して、ビザンツのキリスト教会堂に学び、今までにない大空間のモスクを造るようになる[写真7]。そして、この様式は、首都イスタンブールに限らず、オスマン朝が領土とした東地中海全域で採用される。イエメンやアルジェ

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