日本に生きるイスラーム ―過去・現在・未来―
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77イスラームのグローバリゼーションと日本三.神道文化との共存日本の神しん道とうは、宗教の分類から見ると「民族宗教」であり、「多神教」のなかに配置される。一般には神道は、日本古来の伝統を取り込んで自然発生的に成立し、八や百お万よろずの神々を崇拝する宗教であると定義される。私もこの定義を否定するつもりは、ない。しかし、日本神道の神観念には、単に多神教や偶像崇拝とは言えない独自の様相がある。たとえば、日本で最も高位の神社として知られる伊勢市の神宮は、日本神道の神観念の独自性をよく表している五 。言うまでもなく、内ない宮ぐうの皇こうたいじんぐうごしょうぐう大神宮御正宮には天あまてらしますすめおおみかみ照坐皇大御神と二座の相あいどのかみ殿神が東西に合祀されている。外げ宮ぐうの中心となる豊とようけおおみかみごしょうぐう受大神宮御正宮には豊とようけおおみかみ受大御神が祀られ、東西に三座の御みとものかみ伴神が祀られている。内宮も外宮も、相殿神を合祀しているが、あくまでも主神はそれぞれ、天照坐皇大御神と豊受大御神である。一つの神殿には一柱の神が祀られている、と言っても言い過ぎではないように思える。ところが、これらの神々は「姿」を持っていない。崇拝対象としての神々の木像や銅像が造られないだけでなく、絵画さえも描かれることは、ない。それでは、人びとは何を拝みに神宮へやってくるのか。皇こう祖そ神しんである天照坐皇大御神や食物を司る豊受大御神を拝礼するために参拝に訪れる、という説明では不十分であるような気がする。神々が鎮座しているということと同時に、静せい謐ひつな神宮の神域が、そこへ参拝する人びとの魂の救済と肉体の健康を約束してくれる「聖地」であるからに違いない。神宮には、世界の他の諸宗教にも共通の「神との応答」が可能となる「宇宙の中心」があるように感

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