日本に生きるイスラーム ―過去・現在・未来―
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78じられる。神と神殿と悠久の自然がひとつに融合した神宮の霊性は、自然と人間をつなぐ魂の「拠より所」なのであり、神宮の荘厳な神域そのものが、永遠のときを生きる動かない聖地そのものである。このように考えると、日本の伝統宗教と一神教、とくにイスラームとの相互理解も共存も不可能ではないように思える。人間も含めた森羅万象がすべて神の被造物であると同時に、神の存在を証あかすものであるというクルアーンの教えと、神殿を宇宙の中心と位置づけ、自然界の営みに神性を見ようとする神道の教えとは、相互に矛盾しないように思われる。魂の救済を求める人々にとって、「神あるいは神々との応答」の場が、宗教であることを考えると、日本に生きるイスラームにとって、日本の伝統思想を理解することを通じて宗教の新しい地平が開けてくるように感じられるのである。四.仏教との対話今日の日本の仏教学者の中には、イスラームに対して厳しい目を向ける人も少なくない。元駒沢女子大学長の東隆眞は『日本の仏教とイスラーム』六 の中で、「慈悲あまねく慈愛深き神の御名において」(「ビスミッラーヒッ・ラフマーニッ・ラヒーム」クルアーン第1章第1節)に触れて、仏教用語の「慈悲」がイスラームやキリスト教の神の愛と同じかどうか、ということを検討している。(176〜85、195ページ)東は中村元の文章、「われわれにかかる苦しみを与えた世界創造神が絶対的な慈悲であるということは考えられない」「世界創造神を想定する多くの宗教においては、たとえ人が神に救われたとしても、

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