日本に生きるイスラーム ―過去・現在・未来―
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93日本イスラーム史 ―7世紀から20世紀前半(1945年)まで―日本にとってもアラブ、オリエントの地は、〝唐(中国)と天竺(インド)〞という2つの巨大文明圏のさらなる向こうに存在した地域であり、2つの文明の影に隠されてきた事実は否めない。イスラームと日本の接点時代的な検証を行えば、イスラームの預言者ムハンマド(570〜632年)の一生は、実に聖徳太子(574〜622年)の御み世よに重なっている。アジア大陸の西端と東端において同時代に偉大な足跡を共に残された2人の存在は歴史の偶然であろうか。さらには預言者ムハンマドが初めて啓示に接し〝誦め「汝の主は、こよなく尊いお方。筆持つすべを教え給う。人間に未知なることを教え給う」〞と読み書きによる知性の大切さを教示された西暦610年といえば、日本へ高句麗の僧、曇どん微ちょうが紙を移入した年号と一致する。こうして中国と日本、イスラームの筆記家だけが、当時の世界で文字を書道空間の主役にさせていったのである。特にイスラームは言語を通じて事物を抽象化し、極端なまでに偶像崇拝を排除したが、反対に日本は事物の具象化に専念し、仏像の創作が盛んとなり、現在まで続く〝物造り〞に長たけた社会を形成したのは対照的である。しかしながら歴史上で、日本とイスラームの接点はほとんどなかったに等しい。わずかに人的な交流で、遣隋使、遣唐使が中国の宮廷でイスラーム圏の使節と顔を合わせた程度であり、また物的な交流では、中国西域に延びるシルクロードを通じてイスラーム世界の楽器、絨じゅう毯たんなどが搬入され、西域、胡こ国こくの特産品である胡ご麻ま、胡きゅうり瓜、胡くるみ桃などが日本へ伝来したことなどである。

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