サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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99より良き未来を約束するために地面に倒れこんでいたら、だれがお前を助けて家まで送り届けてくれるのか、と叱ったという。父親は息子に実践を通じて、飲食の中庸がいかに大切なのかを教えたのだった。また、日本外務省のアラブ諸国担当の若者たちとも知り合った。彼らはきちんとしたアラビア語を話した。中には多少のエジプト、レバノン、シリア、イラクの口語を話す者もいた。日本の外務省は制度として、海外の公館には少なくともひとりは現地の言語を話し、読み書きもできる外交官を派遣している。そして本省は海外の公館との連絡のために24時間体制で動いており、外務省の幹部は、交代しながらも、毎日のように深夜の勤務をしている。ラシャーはこの話を聞いて驚きの表情を隠さなかった。ラシャーは、外務省がそんなに精力的に昼も夜も運営されているなんて、それは間違いなく、日本人の特質なのだろう、というのも、日本人は祖国の復興に励み、敵が残した戦争の被害を取り除こうとしているのだから、と言った。私は彼女の言葉に同意してこう補足した。工場の労働者や農民や大学の学生は、その真面目さと勤勉さで、時間を無駄にしないようにしているのだ。考えてみれば、東京に到着した初日に、世界でも有数の大きな首都であるにも関わらず、通りで遊ぶ子どもたちを見かけなかったのは、小学生であっても朝早く家を出て学校に行き、帰ってくるのは午後だからという事情があるからだったのだ。公立の学校は義務教育で、学校が終わると、その日の授業を復習し、翌日の授業の予習をするために塾に通う。子どもが家に帰るのは父親が仕事から帰るのと同じころであるので、子どもといえども、もちろん若者にも、道で時間をつぶしてうろつきまわる時間などないのであった。一度、5歳程度の幼児がひとりでカバンを持って学校と家の間の通りを横断しているのを見たことが

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