サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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100ある。また、ある時は、子どもたちが警官の保護のもと、列を作って歩いているのを見た。その列は工事中の看板のところで止まり、警官は棒を使って車の流れをコントロールし、子どもたちの横断を助けていた。これは子どもたちに交通のルールを教えるためであった。また、大学や高校の学生たちが軍服のような制服を着用して学校に通っているのを見たこともある。彼らの表情は真剣で、まるで戦闘訓練を受けに軍事学校に行く兵隊のようであった。学校や大学は週末には休講になるのだが、その間も、学生のために門は開かれていることを知った。週末に学校に行く学生には、理解が難しい教科の質問に行く者もいれば、図書館で文献を読む者もいる。さらには文化活動やスポーツをする者もいる。私が指摘したいのは、イスラームの教義と日本人の交通ルールの類似点である。東京に最初に到着したのは60年代初頭であったが、当時の東京の夜の人口は1,000万人で(それは当時のサウジアラビアの3倍であったが)、日中はこれに300万人が加わるという統計があった。しかも、当時は今のようには地下鉄が整備されておらず、歩道は通行人であふれ、ハッジ巡礼の時の光景のようであった。しかし、歩行者は右側を通行し、衝突事故が起こることはなかった。通行人はまじめな顔で歩いており、ふらふらする者やきょろきょろして通行人の顔や商店をながめる者はいなかった。信号機の近くには騒音を測定する機械が備えられ、歩行者の環境を整えていた。歩行者が車で混雑する通りを横断する必要があるときには、信号もしくは指定された横断歩道を渡ることになっており、それはたくさん設置されており、その間は都心でも500m も離れていない。横断歩道では信号と同様に注意が促され、違反すると信号違反よりも重く罰せられる。こうして歩行者が横

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