サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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104能な外交官であり、テニスを愛するスポーツマンでもあった。また、アラビア語と英語の双方で素晴らしい詩を書く詩人でもあったし、巧みな話者でもあった。彼は聴衆を詩の世界へと導き、また書いた詩をうたう詩人でもあった。彼のこの特質は、外交官と政府高官の絆を強くし、誰もが彼と同席し、その詩やジョークに耳を傾けることを望んだ。彼の離任を前に東京中があいさつをしているかのようだった。その後離任したのは、敬愛する同僚のユーセフ氏で、ボンへと旅立った。その後着任したのは、ムハンマド・ヌーリー・イブラヒーム参事官で、彼は臨時大使であった。さらにパレスチナ局長として、同僚のムハンマド・サラーフ・ビン・アルハーッジュ・ムハンマド・アミーン・アルフセイニー氏が着任した。ムハンマド・サラーフ氏は、同僚にして友人であり、外務省に入省した日が同日であり、彼の本省での事務室は私の隣だった。このような関係で彼とはいろんなことで、協力してきた。一方、ムハンマド・ヌーリー氏はその任期を通じて臨時大使を勤めるだろうという確信から、大使公邸に住居を定め、その境遇を楽しんでいた。日本側には、これによりサウジアラビアが在京サウジアラビア代表のレベルを大使から臨時大使に下げるつもりなのではないかという懸念が広がっていた。また軍事アタッシェのスタッフたちが東京に到着し、一棟をその事務所として使用し、新しく快適なアパートすべてが軍事アタッシェに提供された。着任した軍事アタッシェは、ムハンマド・ジュエイフィー准将とそのアシスタントのサウード・アルムアンマル大佐、そして事務方としてアリー・アルハディーシー氏である。軍事アタッシェの勤務の特典は住居手当であった。また東京に着任したのは、通商アタッシェのナーセル・サーリフ氏であり、彼は通商部を開設するための予算の小切手を持っていた。

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