サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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105より良き未来を約束するために彼は大使館の3階の私の事務室の隣で業務を開始したが、彼は東京での勤務にまったく満足しておらず、小切手が切れないことに苛立っていた。やがて、彼の視野が広がり、物事を正しく認識するようになった。日本外務省は在京外交団リストを発行しているが、サウジアラビア王国大使館は1958年のアスアド・アルファキーフ大使による開設以来はじめてその外交団メンバーリストが2ページにおよぶこととなった。このことに、臨時大使は喜んだ。またこの臨時大使の赴任中にサウジアラビアは軍事アタッシェ部を開設し、通商アタッシェも着任した。しかし、この臨時大使の喜びもつかの間、シェイフ・ナーセル・アルマンクール氏が、シェイフ・アハマド・アブドゥルジャッバール氏の後任として大使に任命された。シェイフ・ナーセル・アルマンクール氏は官僚としても政治家としても高い評価を受けている人物であり、故サウード国王の信任を受けていたので、閣議担当国務大臣に任命され、国王の代理として勅令を発行して署名する権限が認められていた。彼の前職は、リヤード州の教育長であったし、また、故ファハド国王のもとでは教育大臣も勤めた。全員がシェイフ・ナーセル・アルマンクール氏がリヤードのキング・サウード大学を設立した功績を覚えている。こうしてシェイフ・ナーセル・アルマンクール氏が東京に着任し、空港のゲートで彼を出迎えた。彼は私たちに対してひとりひとり名前で呼びかけて挨拶をし、あたかも旧知の仲であるかのように振る舞った。大使館の業務は真剣に動き出した。というのも、彼のような教育の分野での長い経験と実績のある有能な政治家がトップに立っていたからである。彼こそが、サウジアラビアの若者に対してサウジアラビア各地の大学を通じて、また海外への留学を通じて知識を与える門を開いたのである。よって私たち大使館の全スタッフは仕事の遂行や適切な成果に対し一層注意深くなり、大使の有する中央政府での経験により、大使館は繁栄したのである。

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