サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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112の使用量が少なくてすむためとのことであった。訪問した農場、牧場はいずれも日本の牧場とはまさに桁違いの規模である。気候風土がとても農業に適しているとは思えないサウジアラビアで、なぜこのように大規模に農業をやってきたのか。私がサウジアラビアの農業関係者から直接聞いたところによれば、第一次石油危機の直後、キッシンジャー米国務長官が、産油国が石油を外交の武器に使うなら、アメリカは農産物を武器として使うと脅した由である。これを聞いた当時のファイサル国王が、それならばサウジアラビアは農業を振興するとして、大々的に補助金を出すことを決めたとのことである。つまり、サウジアラビアの農業振興は、食糧安全保障という国家戦略なのである。これでなぜサウジアラビアが経済の比較優位の原則から言えば理屈に合わない農業生産に力を入れてきたかがわかる。第一次石油危機以降、産油国が再び石油を外交の武器に使うことはなく、米国が食料を武器とすることもなかったが、それは故ファイサル国王の英断の意義を少しも減じることにはならない。サウジアラビアの外交 隣国イエメン1994年5月、サウジアラビアと国境を接するイエメンで内戦が起きた。イエメンは基本的には部族社会であった。そのうえ冷戦中は南イエメンは社会主義国で、北イエメンと政治的体制を異にしていた。冷戦終結後の1990年5月に南北イエメンは統一され、93年4月には

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