サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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114ることである。オサマ・ビン・ラディンがサウジアラビア人であること、同時多発テロ事件の実行犯の大半がサウジアラビア人であったこと、その後サウジアラビア内でイスラーム過激派によるテロが起きたことから、サウジアラビア政府はイスラーム過激派の動きに極めて神経質になっている。イエメン政府が国内のイスラーム過激派の取締りを強化しない限り、切っても切れない関係にあるサウジアラビアと隣国イエメンが真に平和的に共存することは難しい。サウジアラビアの社会(その1) サウジアラビア人の勤勉さ1992年4月、赴任後ほどなくしてサウジ・アラムコのナイミ社長(現石油鉱物資源大臣)を訪問した。サウジ・アラムコは米国アラムコが、二度の石油危機を経て1988年に国有化されたものであり、アリ・イブラヒム・アル・ナイミ氏が初代の社長に就任した。ナイミ氏は立身伝中の人物である。1935年、東部州の貧しいシーア派の家に生まれ、12歳で雑役係としてアラムコで働きはじめた。やがてその才能と努力が認められ、16歳から2年間、会社の全額負担で正規の学校教育を受けた。ここでも優秀な成績を修め、3年の実務の後、ベイルート、アメリカに留学し、63年にスタンフォード大学で地質学の修士号を取得した。その後アラムコに戻り、出世街道を歩み、ついに88年に代表取締役社長に就任したのである。一般にサウジアラビア人は、日本人のようには努力しないといわれているが、ナイミ社長の努力ぶりは日本人顔負けである。ナイミ社長にアラムコでの人材育成策について聞いたところ、競争と抜擢であるとの答えが返ってき

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