サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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153砂漠にかける政治の架け橋─ 渡部恒三氏インタビューサウジアラビアと私の出会い―はじめに、先生のサウジアラビアとの関わりについてお聞かせください。渡部 昭和49年(1974年)のことですが、第三次田中内閣が組閣されて、中曽根通商産業大臣の下で通商産業政務次官になったのが、私の政治家としてはじめての役職でした。そのころちょうど、第一次オイルショックが起こっていて、1バーレルあたり3ドルだった原油価格が一気に12ドルにはねあがって、日本いや、世界中が大変な騒ぎになりました。産油国が安定した価格で原油を供給してくれることが、どんなに大事なことかを痛感したのです。資源の恵みのない日本が、世界で一番、油を使わせていただいていました。世界に安定した価格で油を供給してくれているサウジアラビアが、日本にとってどんなに大切な国であるかよくわかりました。これが私にとっての、サウジアラビアという国への最初の認識でした。もう36年も前ですね。その後に、田中内閣が退陣して三木内閣(1974年 第一次組閣)が作られ、私はそこでも河本通商産業大臣の下で、通商産業政務次官を続けることになりました。エネルギー問題でいろいろ苦労したのは、この時期です。さらにまた、衆議院の商工委員長を務めていた頃(1981年〜)には、いわゆる「イライラ戦争(イラン・イラク戦争)」があり、第二次オイルショックが起こって、物価が高騰し、これにも苦労させられました。

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