サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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154―1991年に通商産業大臣になられ、その2ヶ月後にサウジアラビアにいらっしゃっています。渡部 はじめての外国訪問だったのですが、この時も湾岸戦争があった直後です。日本にとって中東は、生活や経済を左右する産油国であり、しかもその中東各国の油の多くは、アラビア湾を通って日本に運ばれてくるのです。だから、日本としても各国の安定のためにできる限り協力しなくてはならなかったのですが、日本には戦争放棄の憲法があって、他の国に「応援」には行けなかった。その後、法律がかわって、今はお手伝いできるようになりましたが、その時は駄目だった。日本に石油を送るタンカーが一番通っているのに、その湾岸を守るための、日本の軍艦が見当たらない、と批判を浴びました。それで、90億ドルを「せめて」とアメリカに供出した。これは予算を通さなければいけません。当時、私は自民党でしたが、社会党をはじめとする野党は絶対反対でした。予算委員長をやっていましたが、湾岸戦争が終わる3日前になって、ようやく国会を通って、かろうじて面目を保ったという経緯がありました。その後、宮沢内閣の内閣改造で通商産業大臣に任ぜられたので、これはやっぱり、サウジアラビアに行かなければならないと思って、通商産業大臣としての最初の外遊はサウジアラビアに行かせていただいたのです。そして、国王陛下をはじめサウジアラビア国民からあたたかい歓迎を受けました。私としては「日本は軍隊も出さなくて、けしからん」と叱られると思っていたんで

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