サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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15アラブとの70年─ 林 昂氏インタビューサウジアラビアと日本が公式に外交関係を樹立したのは1955年のことです。しかしそこにいたるまでには、アラブ・イスラーム諸国との絆を築いてきた多くの先達の尽力があったことは言を待ちません。林昂先生は戦前より70年にわたり、さまざまな立場でアラブ・イスラーム諸国と関わってこられた屈指のアラビストでいらっしゃいます。以下ご略歴を紹介させていただきます。林先生は1916年のお生まれ。国費でエジプトのカイロ大学に留学、アラビア語科の課程を修了し太平洋戦争開戦直前に帰国。開戦によりエジプトとの国交は断絶されましたが、外務省のリエゾンオフィサーとして毎日駐日エジプト公使館に通われました。その後小磯総理大臣より、叙 高等官七等、大阪外国語学校教授の辞令を受け、アラビア語科主幹兼京都大学文学部講師に就任。授業の傍ら政府の助成金を得て日本初のアラビア語日本語辞典を編纂するも、出版を目前にした1945年3月、阪神大空襲によって5万語のカードとアラビア語字母もろともが消失するという体験をなさっています。戦後は極度の食料不足もあり、やむなく実業界へ転進、マッカーサー指令の財閥解体による三菱商事の新会社(東光商事)に入社なさいました。その後数回の系列内合併により新生三菱商事の業務部次長(中東アフリカ担当)に就任、中東アフリカ地域初の大型案件を多数成功に導き、発展途上の新市場開拓に範が示されることとなりました。1957年7月、三菱商事高垣社長の了承を得た山下太郎日本輸出石油株式会社社長の求めによ

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