サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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20ですが、何か寂しそう。そのお祝いは、まず羊の肉を中心に数々の料理が供される、皆が大変楽しみにしているお祝いなのです。エィド・アルアドハーと称する犠牲祭。それで僕は何とか羊を手に入れなければと思ったのです。肉そのものがほとんどないような時代でしたけど、あちこち探してみたところ、東京都の種畜場で羊を飼っていると聞いたのです。だからそこへ行ったわけです。外務省から車を出してもらって立川まで行き、羊と一緒に渋谷の公使館に帰ってきた。羊を分けてくれた種畜場の方に感謝しながら。座っていると隣の羊のぬくもりが伝わってきて、うれしかったです。― 羊と一緒とは、どんな車だったのですか? 林 木炭車。たしか後ろの方にかまどがありましたね。木炭をくべて、ガタガタといいながら、羊と僕は一緒です。公使館に着いたときのみんなの喜びようはたいへんなものでしたね。目を輝かせ、歓声をあげて迎えてくれました。羊探しの苦労も吹き飛びました。この話には後日談があり、ある日、中立第三国であり、エジプトの利益代表国になっていたスイスの公使館経由で、エジプト本国の外務省から感謝状が届いたのです。林という人物がこういうことをして、みんな喜んで感謝しているというような報告が、在京エジプト公使館からエジプト本国の外務省に伝わったのでしょう。当時の上司だった太田欧米局第三課長も、抑留外交官から感謝状が届くとは空前絶後だと、とても喜んでくれました。後で聞いたところでは、同じようにカイロの日本公使館に抑留されていた邦人も、そのころから散歩ができるようになったそうで

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