サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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23アラブとの70年─ 林 昂氏インタビューその彫金師にきてもらって、教え込んで、こういうふうにしてくれ、こういう角度で合わせればこうなるからと教え込んで、ようやく字母ができた。字母は真しん鍮ちゅう製ですから本当にずっしりと重いのです。これはカードとは別の箱に入れて、倉庫に入れてあった。そこは幸いにして無事だったのですが、二、三日して大阪へ行ったら、用務員の方が飛んできて、「先生、倉庫、やられちゃった。」「ええっ!」と行ってみたら、せっかくの字母も何もないわけですよ。盗まれたのです。話を聞けば、大阪造ぞう兵へい廠しょう(大砲などの兵器製造所)にある砲金とか、そういう原材料がごっそりと盗まれていたらしい。そういう時代だった。だから、結局は何もかもなくなってしまったのです。教師から商社マンに転身、中近東・アフリカで次々に商談が成立する― 戦後になって三菱商事にお移りになったのですよね。林 要するに、大阪外国語学校、あるいは京都大学ではとてもじゃないけど、ご飯が食べられないわけです。本当に食料事情が悪かったので、やむを得ず実業界に入ったのです。でも、結局これもいろいろ不思議なご縁がありましてね。ご承知のように、マッカーサー指令でもって財閥解体があって、三菱商事も三井物産も、みんな大商社が解体して小さな会社になったのですね。その三菱商事の解体会社に東光商事というのがありまして、戦前の三菱商事のバグダッド支店長を

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