サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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24されていた金子さんがそのとき、たまたま東光商事の北海道札幌支店長をやっていたのです。それで、たまたま僕が京都大学の帰り、偶然に金子さんと再会したのです。大阪駅でしたね。後ろから「林くんじゃないですか?」という声が聞こえて、振り返ってみたら、金子支店長だった。「君、今どうしているの?」と問われて説明したら、彼いわく、「君ね、先生をしているとか、そんな悠長なことじゃないよ、今の日本は。とにかく貿易をやって外貨を稼いで、日本を少しでも豊かにしないとだめだよ。」それはまさにそのとおりなので、結局は校長に事情を話して、それで東光商事に入ったわけですね。その後、合併に合併を重ねて、東光商事はまた三菱商事になったわけです。それで、僕はもちろん戦後、中東・アフリカ地域を担当しました。それで現地へ行って商談をするわけですが、仕事そのものは本当にたいへんだけれども、日本としてはじめての案件がみんなうまくまとまるわけですよ。― 国立大学の教授と商社マンでは随分と畑が違うように思われますけれど。林 僕は三菱商事に、「まったく商売ははじめてでわからないから、勉強させてください」と言って入ったけれども、現地で商談を重ねるうちに、何か不思議な雰囲気が醸かもしだされて率直な意見交換が行われるようになったのです。そしてこれが太平洋戦争前後を通じてわが国最大の中東・アフリカ地域における大型案件成立の端緒になったのです。― 当時の案件にはどんなものがあったのですか?

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