サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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26ところに林くんという人がいるよね。彼をくれないか」「なんでだ?」「ぜひ、林くんをアラビアへ連れて行きたいからだ」という話になった。「ばか言え」と言下に断ったそうですが。しかし、その後、高垣社長と荘副社長がこもごも私に、石油は大事な国策的な資源だから、山下くんの交渉を是が非でも成功させたい。交渉を手伝ってやれないか?と。もちろん、私に異存はなく、1957年7月26日に羽田を発ち、ジェッダに向かった。36時間を要するフライトでしたが、政府が移っていた夏の都ターイフへ飛び、表敬をすませてリヤードへ落ち着いたのです。国王の日程に合わせて内閣がターイフ、ジェッダ、リヤードなどへ移動するので、交渉も落ち着かなかったのですが、最初から難航したのは、東京で聞かされていた話と基本的に異なっていたからでした。つまり、利権を有する会社の国籍の問題で、日本法人を主張する私たちに対し、サウジアラビア法人であるべきである、と主張するタリーキー石油鉱物資源局長は、まさに舌端火を吐く熱弁でこうおっしゃったのです。「われわれの足もとから採れた原油、それがタンカーで運ばれ、揚地で精製され、製品化されて販売される。しかし、これら一連のオペレーションからうまれる利益のほとんどがわれわれの国庫に入らないのである。おかしくないかね。テキサコほか3社からなる〝アラムコ〞に利権が付与されたのは、その昔1933年、当時、彼ひ我がの国力の差が比較するのもナンセンスなほど大きかったとしても。それゆえ、この非を正すため、今後、新しく付与される利権は、サウジアラビア法人に対してのみでなければならないのですよ」と。

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