サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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52日本は、私の外交官のキャリアにおいて、最初の海外勤務地であった。来日したのは、1963年の夏で、去ったのは1968年の大晦日であったが、国外で5年間もの長期間を過ごしたという感じはなかった。というのも、5年の歳月はあっという間に過ぎ去ったからである。時間というものは人生を送る上で素晴らしいものである。当時の日本は、国力を回復し、固い大地の上に自らの手と足で立っていた。国民が、明確な意思を持って行動すれば、願いは叶えられるものである。当時の日本は、あたかも疲れや飽きることを知らぬ機械であるかのごとく、昼夜を問わず労働に励んでいた。そして、「メイド・イン・ジャパン」の刻印は、予想をはるかに超えて、最も信頼されるブランドとなり、日本は、先進産業大国の間で賞賛されるべき地位を獲得する道を進んでいた。多くの先進国は、広島と長崎に投下された原爆により日本は麻痺させられ、日本国民の野望は終焉を迎えたと信じていたものであった。そして日本は1964年に東京オリンピックを主催し、全世界に対し、日本の健在性を示し、平和を愛するスポーツ選手やスポーツ愛好家にその門を開放したのであった。当時のサウジアラビア王国と日本の関係は、外交関係が樹立されて間もなくのころであったが、両国関係は、日本の産業を動かすサウジアラビアの石油と、日本がさまざまな分野で提供する経験と、共通の利害のある多くの事柄に対する相互理解を通じて、年を重ねるほどに、確固なものとなり、友好的となっていた。私が再び日本に戻ったのは、1998年初頭で、私は在京サウジアラビア王国大使として赴任した。再度の来日で私が目にしたビル群の建築様式やその繁栄ぶりに驚愕した。日本は世界経済の頂点の座を

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