サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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54ビア人は、サウジアラビアと日本の友好関係と協力関係を目の当たりにしている。日本の歩んだ道を辿っている、在京サウジアラビア王国大使館 文化部、その筆頭であるイサム・ブカーリ博士は、サウジアラビア政府と国民の希望の橋であり、それはサウジアラビア国民のより良き未来のためでもある。私の経験と独特な気質や習慣を持つ日本での生活に関する以下の文章を、あなた方と共に読み進めたい。この文章からは時代の変化というものが感じられるに違いない。一.「サファル(Safar:ヒジュラ暦[イスラーム暦]2月)」と「サファル(safar:旅)」ラシャーが質問してきた。ヒジュラ暦(イスラーム暦)2月の「サファル」のスペルの最初の綴つづりは「スィーン(軽い「s」)」なのか、それとも「サード(重い「S」)」なのかと。私はラシャーに「サード」だよ、と答えた。ここで、私は、「サファル(Safar:ヒジュラ暦[イスラーム暦]2月)」と「サファル(safar:旅)」をかけて書き進めてみようと思う。毎年、サファル月になると思い出すのだが、ヒジュラ暦(イスラーム暦)1383年、サファル月の初日(西暦では1963年の6月23日にあたる)に、私は在京サウジアラビア王国大使館での勤務を開始した。私が日本に到着したのは、ヒジュラ暦(イスラーム暦)のムハッラム月(サファル月の前の月)の最終日の前日であった。それは、パン・アメリカン航空のエアバス機での長くて疲れる空の旅の果てであり、その機体は、私と妻とふたりの息子(4歳のウサーマと1歳の

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