サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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56原爆をうけ、この悲劇を繁栄の誇りと知識で挽回した国である、ということだった。私が想像していた東京は、人で溢れかえり、先進的なビル群の周囲をジェッダの日本国領事館で見たような日本庭園が取り巻いている、というものであった。それは、アラブ諸国で最も美しい首都とされているベイルートに匹敵するのではないかと思っていた。入国カードに必要事項を記入し、旅券に挟みこんだ。私たちはシートベルトを締め、座席を元に戻し、羽田空港への着陸に備えた。ここでラシャーは用事があるということで、しばし後に再開することとする。二.「サファル(Safar:ヒジュラ暦[イスラーム暦]2月)」と「サファル(safar:旅)」記憶の語りに戻ろう。入国審査や税関での手続きは、私たちの所有している旅券の種類のおかげでつつがなく進み、空港の外に出て、タクシーを探した。在京サウジアラビア王国大使館に最も近いホテルに運んでもらうためだ。私が、大使館の住所をメモした紙を、タクシーの運転手に差し出したところ、運転手は一言「ホテル?」と答えるのみであった。運転手は英語が読めず、私は日本語が話せず、私がこの住所に最も近いホテルへの移動を望んでいることは理解されなかった。そこで運転手は、私の手をとり、空港のロビーへと連れ出し、ホテルの名前と写真と住所の看板を掲げた多数の電話機のコーナーへと案内し、身振り手振りで、私に都合のいいホテルを選んで電話をするように教えてくれた。私は彼に従って、受話器を取り、英語で大使館に近いホテルの部屋を取りたいと伝えたが、空室はなかなか見つからなかった。次から次へと別のホテルと交渉し続け、焦りを覚えはじめたころに、ようやく4泊だ

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