サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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60で私の視線は数百人の通行人が出入りする入り口に注がれ、それが地下鉄の出入り口だと知った。その後、銀座の町を出て、すばらしい庭園のある皇居前を通り過ぎた。皇居の向かいには巨大なビル群があり、のちにそれらは国会や省庁や会社や銀行であることを知った。タクシーは4車線の通りを抜け、角に米国の国旗を掲げ、金属のプレートに米国大使館の名前を刻んだ建物がある2車線の道に入った。米国大使館の先には高級ホテルのひとつである、ホテルオークラがあった。やがて六本木に入り、タクシーは曲がりくねった細い道に入った。それは一方通行のようであったが、実際には2車線であった。タクシーが対向車とすれ違うときには、運転手は細い道の中で少しでも広いところを選び、数㎝しか距離のないところまで車を寄せ、対向車の通過を待っていた。最後にタクシーはさらに狭い道に入った。一方には中国大使館があり、それは広い土地をしめていた。サウジアラビア王国大使館は狭い入口で、右側には墓地があり、正面につつましい大使公邸と大使館事務所があった。その場所はかつて2台の公用車の駐車場であったという。運転手はメーターを指し、料金を請求したが、その額を計算するとわずかに数サウジ・リヤールに過ぎなかった。空港のタクシーの料金にせよ、ホテルでの食事代にせよ、それらの金額はサウジアラビアではわずかに1サウジ・リヤール、つまり1米ドル程度のものであった。この辺りで思い出語りを一旦終わろうと思う。四.「サファル(Safar:ヒジュラ暦[イスラーム暦]2月)」と「サファル(safar:旅)」サウジアラビア王国大使館では、笑顔を浮かべた礼儀正しく美しい日本人女性が私を出迎えてくれた。

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