サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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62今の宿泊先の予約は4日間だけだからです。」と伝えた。ふたりの同僚は私が家族同伴であることに対して驚いていた。というのも、日本は生活費が高く、満足できる住居を見つけることが困難だからだった。いずれにせよ適切な物件を見つけるため、不動産業者に連絡することが受付の女性に対して指示されたようだ。そして彼女は不動産業者と連絡を取り、業者は翌日の午前中に営業担当者を大使館まで向かわせると約束した。その後、同僚のユーセフ氏の同行を得て、シェイフ・アハマド・アブドゥルジャッバール大使の執務室にうかがった。大使はユーセフ氏から、私が家族同伴で赴任してきたという話を聞くと、先日、大使自身が銀座のホテルに食事に出かけた際に、偶然にも屋上の庭でアラブ民族らしき女性とふたりの子どもを目撃したそうで、彼らは私の妻と子どもたちであると答えた。大使は私の赴任を歓迎し、数週間にわたり私の赴任を待っていたこと、また私の前任者が2ヶ月前に離任して以来、業務が山積みとなっていて、その処理のために私を必要としていることを語った。その後、ジェッダの本省に対して、私が家族同伴で東京に到着したこと、ヒジュラ暦(イスラーム暦)1383年ムハッラム月20日よりジェッダの本省を離れ、サファル月1日より大使館業務に着任したこと、大使館スタッフのリストに私の名前を加えること、この赴任に要した経費の支給を求める内容の公電を送付するよう命じた。ユーセフ氏に対しては、事務室と業務の引渡しと、住居の確保を手伝うように命じた。そして、私たちは上の階に上ったのだが、その話は次回にすることにしよう。

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