サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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68の習慣では、毎日近くの公衆浴場で風呂を済ませるからであり、その料金は一人21円であるとのことだった。七.「サファル(Safar:ヒジュラ暦[イスラーム暦]2月)」と「サファル(safar:旅)」ホテルのフロントは、大使館の近くのホテルに部屋を確保する努力を約束してくれた。部屋に戻ると妻と子どもたちは朝、部屋を出たままで、昼食もとっていなかったので、ホテルのレストランに向かい、ピラフを注文した。それがメニューの中で最も安く、かつ屋上の庭で食べたグリルされた肉料理よりボリュームのある料理だったからである。心配が私を捉えて離さなかったので、アッラーに物事がつつがなく進行することを祈った。睡眠は相変わらず断続的であり、残り少ないポケットのお金のことで頭は一杯であった。私たちはまだホテルに宿泊しており、この困った状況において、大使館から給料の前借りを頼み込むことも考えざるをえなくなってきた。日本での最初の1週間を過ごすために、消費は最低限に抑えなければならなかったし、タクシー通勤の往復料金は、私をひどく心細くさせた。ラシャーは大使館に公用車はなかったのかとたずねた。当時の大使館にはたった2台の公用車しかなかった。1台は大きなキャデラックで、もう1台は大使のための日本製の乗用車であった。2台の公用車が大使館にあったのだが、大使館の外交官にとっては国家の車を使用する慣習はなかったのである。

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