サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
76/222

72て、再建を希望する地主に、建設に必要な許可を取得した順番で番号が与えられたとのことである。おそらく、最初の再建の許可を得た地主は通りの中心であり、1番が与えられたに違いない。この順番により、その隣人に与えられた番号は10番であった。大使館の通訳の白石さんの説明によると、当時日本を統治していたアメリカのマッカーサー元帥は、東京が日本の首都にふさわしい町として再建されることを望まず、破壊された東京が新しい通りや道路建設の計画を持たないように、このような方法の指示を与えた、とのことだ。九.「サファル(Safar:ヒジュラ暦[イスラーム暦]2月)」と「サファル(safar:旅)」ラシャーはこの記憶の語りの再開をねだったので、私はラシャーに次のように話した。私は大使秘書に、麻布のホテルに移ったことと部屋の番号を伝えた。不動産業者の営業マンとともに物件探しを2時まで続け、事務室に戻って業務を行った。勤務時間の終了とともに大使館を退出し、4時にホテルに戻ったところ、妻と子どもたちは庭園で遊んでいた。この風景は仕事の疲れを癒してくれた。こんな状態が続き、次の日曜日となった。その日はよく晴れた暑い日で、庭園で水浴びをする宿泊客や訪問客も多く、ウサーマとアイマンはあちこちで走り回っていた。庭園の訪問客のなかにはヨーロッパ人と思われる女性がおり、彼女は私たちに近づいてあいさつをすると、子どもたちをあやしてくれた。彼女は近くにあるドイツ大使館のスタッフであることがわかった。

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です