サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
81/222

77より良き未来を約束するためにうであり、それを解読するのはまるで薬剤師が医師の処方箋を解読するのに匹敵するくらいの能力が必要だった。私は、その報告書をより明瞭な書体で書き直し、一行ごとにスペースを空け、大使が適切だと思うことを追加できるようにして、大使の目の前でそれを読み上げた。段落ごとに区切りを入れて、ニュースを背景から読み上げるようにし、週ごとの情勢を説明した。これは参事官が長期の休暇の前に書いた最後の報告書であった。大使は私に来週にはその週に起こった出来事にもとづく報告書の準備を命じ、あわせて毎朝日本の政治情勢をメディアから拾って報告するよう命じた。それらはおもに、日本の英字紙の見出しを集めたものであった。必要に応じて私は辞書の助けを借りていたのだが、英語からアラビア語に翻訳するために、「マウリド(注:定評のあるアラビア語辞書の名前)」を夜になると隣に置いておかねばならなくなった。夜には、新聞の見出しから理解するのが難しい単語や文章の意味を何時間も探し出さねばならなかった。大使が校正してサインをした最初の新聞報告書には、以前の報告書には入っていなかった私の名前、ムハンマド・バシール・クルディーがこの報告書を作成した証しとして記載された。こうして私は新聞の読解とフォローに一層努力することとなった。新聞報告書作成の職務を命じられる前に、本省の予算局長に対して私の東京着任と任務開始を伝える書簡が送られた。大使館は事務と経理のためのタイプライターとアーカイブの受け取りを待っていたのだと気づいた。私はそれらを本省で2年間も練習していた。

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です