サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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80ここで記憶の中の話を一旦止めたところ、ラシャーはもっと次を聞きたいとせがんできた。そこで、次のように話した。ある朝、大使からどの車を輸入するつもりなのか、と質問された。日本では外交官は海外の製造元から輸入された外国製の新車にもただちに外交団ナンバーが許されるが、一般の日本人には許されておらず、日本人は2年以上使われた中古の外車しか乗ることができないことを説明してくれた。しかし、私は運転免許を持っていないと答えたところ、大使はここには自動車学校があるといい、米国車や仏車の代理店をしている中国人ビジネスマンを紹介するので、安くていい車を探してあげようと言われた。その後、私と妻は大使公邸での夕食に招待された。大使秘書はベビーシッターを派遣する事務所を紹介してくれた。夕食会での席順では、私はその中国人ビジネスマン、孫氏の隣で、向かい側にはその妻であるファーティマ夫人が座っていた。私たちはいろんな話題を話しあった。ファーティマ夫人はハッジ大巡礼に行ったときの思い出話をした。彼らは、蒋介石の派閥に属していることが分かった。蒋介石は中国本土が共産党の手に陥落した後に台湾に中華民国を建国し、統治していた。このふたりの活動は日本と中華民国にまたがって行われており、ファーティマ夫人はビジネスウーマンとして、数々の企業を経営していた。話題が日本における輸入車市場のことになったとき、孫氏は私にプジョー404を輸入することを提案してきた。その代金は分割で、月々100ドルを2年払いでいいとのことであった。そして2年後には、

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