サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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84を作りあげようではないか。私たちは思いあがってアジア人を原始人だと蔑さげすむ、彼ら欧州人に追いつかなければならないのだ」と。将軍を追放した明治天皇の人徳により、これまでは否定されていた自由と人間性が回復された。日本の近代化はすべての領域(農業、産業、軍事、建築、保健衛生)で、なにより教育面で飛躍的に前進した。そして日本人は、1868年から1912年にわたる40年あまりの間に、未み曾ぞ有うの速さで繁栄と世界への開国を実現したのであった。この成果を維持し、日本の領土を外国勢力からの侵略から守るため、日本は軍事力を増強し、戦略的に重要な近隣諸国への侵略を行った。それが東アジアの資源を狙う西洋を怒らせた。第一次世界大戦では日本は強国の連合側の一員となったが、第二次世界大戦では米国の空襲や広島・長崎への原爆投下を受け、降伏を余儀なくされ、米軍占領当局の統治下に入った。戦争へといたらしめた指導者たちは処刑されたものの、天皇制は残され、軍隊の武装解除の後に、軍事工場は消費財の工場へと転用された。新しい国家体制は天皇制の下、国民が選出する者にすべての権限が与えられ、天皇は国民統合の象徴となった。先見の明のある天皇による第2の転換点は、天皇が敗戦に際してその責任を認め、国民に対し敗戦という現実を受け入れるよう、そしてその現実と折り合って労働に励み、敗戦の影響を乗り越えるよう求めたことにある。これにより知識と技術において、西洋に追いつくことが求められ、日本は敗戦国から、知識と産業の分野での大国へと力をつけていくのであった。白石さんは、私に日本政府の奨学金により日本で高等教育を受けているアジアの留学生を紹介してく

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