サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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88えた。若い新聞記者の最首さんと出会ったのは、金曜礼拝後の東京モスクであった。東京モスクは当時東京にあった唯一のモスクであり、1938年に日本政府の支援とタタール人ムスリム組織の便宜により建設された。モスクは建築上の遺産であり、毎日日本人が見学に訪れ、オスマン様式の建築に目を見張り、イスラームについて知ることとなった。最首さんがその日東京モスクに来ていた目的は、日本のムスリム社会やその伝統的な文化や習慣、信仰の実践方法について調べるためであった。私たちはこうして知り合い、サウジアラビアについて話した。マッカとマディーナというアッラーから与えられた聖地のおかげにより、私たちはこうして東洋から西洋に至る全世界のムスリムと知り合うことができるのだ。そのため私たちは血も方言も混じっており、多種多様なムスリムたちと分け隔てなくともに金曜礼拝を行うのは、イスラーム共同体の特性であると説明した。彼とモスクで会う頻度は増えていった。最初は個人での付き合いだったが、さらに家族での付き合いとなり、最首さんは足しげく東京モスクに通い、日本人やパキスタン人などのムスリムたちと知り合い、イスラームやムスリムについての理解を深めていった。私は大使館の書庫にあった英語のイスラームに関する文献を差し上げ、その中にはクルアーンの英訳も含まれていた。彼はそれらを慎重に読み進め、やがて日本ムスリム協会の幹部らと知り合った。その幹部の中にはアラビア語圏の国でアラビア語や宗教について学んだ者もいた。その結果、彼はイスラームに納得して改宗をし、「アブドゥルアジーズ」と名乗るようになった。その年に彼はハッジ巡礼を行い、サウジアラビアから帰国すると勤務先の新聞社から経済担当の任務を任された。彼はさらにサウジアラビアやペルシャ湾岸の産油国についての事柄を調べ、精通するようになった。新聞記者という

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