サウジアラビアと日本 ―その素顔と絆―
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90争の準備でもあった。アズハル大学が彼らを受け入れ、留学生のほとんどがイスラームに改宗した。これによって、イスラーム世界は最もよい民族のひとつへ布教の扉を開くこととなった。こうして第二次世界大戦が勃発し、彼らはエジプトに足止めとなり、戦争で壊滅的な被害を受けた後に帰国し、外務省やアラビア石油などに就職した。アラビア石油は偉大なビジネスマンであった山下太郎氏が設立したもので、彼はカフジ油田の採掘権を獲得していた。この企業の活動支援により、サウジアラビア・日本友好協会が設立され、そのポストはエジプトから帰国したアラビア語を話す留学生によって受け継がれた。日本とイスラーム諸国との関係拡大にともない、日本はかつて占領していた近隣諸国の若者の教育を補償することとなった。その近隣諸国の留学生のほとんどが、インドネシアやマレーシアや中国のムスリムの留学生であったし、さらにはタタールやパキスタンからの留学生もいた。こうして日本におけるイスラームの存在は、現実のものとなった。とくに外国人ムスリムは日本人女性と結婚し、日本との関係を深めていた。日本ムスリム協会をはじめとする各種イスラーム団体は、イスラームに関する文献を出版し、その筆頭が日本ムスリム協会を開設したオマル・三田博士によるクルアーンの日本語訳であり、その他にも預言者ムハンマドの言行録なども翻訳された。日本ムスリム協会、アラビア石油、サウジアラビア・日本友好協会の重鎮たち(オマル・林氏、原田氏、アミーン・徳増氏ら。彼らは私が赴任したときから、サウジアラビア王国大使館の重要な友人たちであった。)は、一方でサウジアラビア王国大使館と密接な協力をしていた。アラビア石油の創設者である山下氏のことは今でもよく覚えている。彼はつねにサウジアラビア王国大使館のスタッフ全員を招

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